【全俺が泣いた】涙なしでは語れない。僕とiPhone 5sの感動のストーリー 。
僕は最近iPhone 5sを使っています。 数年前に発売されたモデルで、今も使っている人はだいぶ少ないはず。 全く同じフォルムで高スペックなiPhone SEでさえかなり前に発売されたほどです。
実は数ヶ月前まではiPhone 6sを使っていました。 まずはこのiPhone 6sとの日々について語っていきます。
6sとの出会いと別れ
僕が6sを手に入れたのは大学3年生のころ、今から2年ほど前のことです。 当時使っていた5sがとある理由で使えなくなってしまったため、新しいモデルの6sを購入しました。 そのとある理由は、また後でお話しします。
6sを手に入れた当初、僕はスティーブ・ジョブズがiPhoneにケースなどを一切付けずに裸持ちしていたことを知り、それに感化されて同じように裸持ちをしていました。 そんな感じで使い続けて数ヶ月後、当時カフェでアルバイトをしていた僕は遅刻しそうになり、自宅から駅に向かって猛ダッシュしていました。
手元の時計で今の時間を確認しながら必死に走っていました。 そんな時、ガツンと、嫌な音がして手に衝撃が走りました。
僕はノーガード状態の5sをガードレールに強打してしまったのです。 「ガード」が2回出てきたのでややこしいですが、バッキバキになったということです。
ちなみに、画面にバッキバキになった状態の6sがこちら↓
上の部分がバッキバキすぎて危険なので、今はセロテープを張っています。
ただ、これで殉職、とはならずこの後もひとまずは問題なく使えました。 この状態で1年以上使い続け、次第にいろんな部分に不具合が出てきました。
バッテリーがものすごいスピードで減っていったり、何も操作していないのにマナーモードになったり解除されたりを繰り返したり、なんだか雲行きが怪しくなってきて数ヶ月後、6sは殉職しました。
最後は華々しくガードレールなどにぶつかって壊れることも、爆発オチで壊れることもなく、完全に充電ができなくなって使用不能となりました。 いろんな人のLightningケーブルを借りて充電を試みましたが、ついにその息を吹き返すことはなく、完全なる置物となって僕の部屋にディスプレイされることになりました。
さて、この絶望的な状況の中でも僕は慌てませんでした。 なぜなら、僕の手元には5sがあったのだから。
出会い、別れ、そして再会。
実は、僕の手元にはずっと5sがありました。 そして、5s自体はなんら問題なく動いていました。 ただ、数日の間彼は行方不明になっており、だから、見つからないと考えた僕は新たに6sを手に入れたのでした。
しかし、彼は帰ってきました。 それは遠い冬の日のことです。
僕は友人たちとともにスノーボードを楽しんでいました。 大学生の冬といったらスキーとスノーボード。 長野まで泊りがけの3人旅です。
初めてのスノーボードにビビりまくりの僕でしたが、何度も転んでいるうちにコツが掴めてきて、後半はだいぶ滑れるようになりました。 滑れるようになると急に楽しくなるもので、ちょっと傾斜がキツいところに挑戦して見たり、技っぽいのをやってみたりと冬を満喫していました。
ここら辺で記念撮影でもしようと、僕がスマホを取り出そうとした時、
ない。
ポケットに入れていたスマホが、ない。
絶望した僕と優しい友人はその後何時間もかけてゲレンデを捜索しましたが、なかなか見つからず。 友人がiPhoneにもともと備わっている「iPhoneを探す」という機能を使って大まかな場所を割り出してくれましたが、雪の下から僕の5sが見つかることはありませんでした。 その日は暗くなってしまったので、とりあえず捜索届けだけ出して宿に帰りました。
そして、「これはもうダメだな。」と早くも5sに見切りをつけた僕は、 なんと、次の日はスマホのことなどケロッと忘れたかのように、ターンやジャンプといった技に挑戦して存分にスノーボードを楽しんだのでした。 驚異的な精神力と切り替えの早さを見せて僕は帰路に着きました。
それから数日後、自宅に荷物が届きました。 amazonで何か注文していたかと思って箱を開けると、懐かしき5sの姿が!
なんと、あの後数日後に僕の5sは発見されていて、捜索届けに記入しておいた僕の自宅へ郵送されてきたとのことでした。
まさか、長野から少し遅れて5s氏も帰路についていたとは! しかし、やはりゲレンデの雪の下。 耐水性のないiPhoneでは中まで浸水して使い物にならないだろう。
そう思って充電を開始すると、 オーマイガー。
見慣れたリンゴマークが出現し、僕の5sは息を吹き返したのです!
雪に埋もれ、それでもなお主人のことを想い、そして僕の元に舞い戻ってきた。 その忠誠心の深さたるや、どんな積雪よりも深く、その志の高さたるや、ゲレンデのどんな山々よりも高い。 まさに、最高のiPhone!
そんな彼が雪に埋もれている時、僕はアホ面で雪山をくるくる回りながら滑ったり、やれターンだのやれジャンプだのといった面白くもない技をアホ面で決めていました。
そして再び友となる。
そんなこんなで、6sが殉職した今、その心臓にあったSIMなる小さな部品を受け継ぎ、僕の5sは6sと同じように使えるようになりました。
確かにスペックの差が大きいので、これまで問題なく使えていたアプリで支障が出ることもしばしばあります。 ポケモンGOをプレイしている時に空中でモンスターボールが固まって動かなくなることも多々ありますが、それ以外は今の所問題ありません。
6sは画面がバッキバキなのに対して5sはツルピカですし、なんだかこのコンパクトな画面もだんだん気に入ってきました。 今は6sの時のような悲劇を繰り返さないためにケースに入れて使っています。 まあ、これは常識なんですが。
雪山から奇跡の生還を果たし、今だに現役で活躍し続けている5s。 一度死にかけたからこそ、今を生きる彼の姿勢には他の追随を許さない圧倒的な熱意を感じます。 人間と機械という相容れないもの同士の間にも、「愛」や「友情」といった目には見えない、いや、目に見えてはならない、そんな強い魂が存在しているのかもしれません。
そんな僕は今、ポテチをポリポリ食べながら、アホ面で新しいiPhoneの購入画面を見ています。