オギノート

「オギノート」は、シンプルなモノ・コトを中心に、フリーのデザイナーである小木が買ったものや考えたことを発信するWebメディアです。 小木が日々取り組んでいるデザインについて、PCやその周辺ガジェットについて、最近読んだ面白い本について、小木が目指していきたいミニマルなファッションと暮らしについてなど、様々なジャンルの記事を独特の視点と語り口で綴っています。

小木の学生物語②「自由に過ごした大学時代」

『小木の大学物語』の第2弾、前回の続きです。 前回の記事は「小木の大学物語① 大学受験と青春時代」です。 今回は僕が自由にいろんなことを学んだ大学時代について語っていきます。

何か皆さんのヒントになれば幸いです。

また、明治大学各位、お世話になった方々におかれましては心より感謝している次第でありますが、文章の中で多少失礼な表現をしてしまっている部分もございます。 「言葉の綾」というものですので、ぜひとも深く考えず、深くとらえずにお読みいただきたいと思うで候。

 

大学1年生 仮面浪人時代

さて、SFCから転げ落ちて数年前に警察沙汰を起こして有名になった明治大学ホールインワンした僕ですが、大学というものは始まってしまえばやはり楽しい。

運よく初日で20人くらいでワイワイすることができ、今後ずっとツルんで行けそうな友達も2人ほど見つかりました。

学食に行くのも、授業に行くのも一緒だし、いつもツルんでる友達がいなくても、初日にワイワイやった友達がいれば一人になることはない。 そんな、ボッチ回避における最強の布陣を構築した僕ですが、心の中では全く別のことを考えていました。

大学の授業に出ている時でも、家に帰ってからも、僕は受験勉強をしていました。

そう、仮面浪人。

仮面浪人とは、大学に通って大学生という仮面を付けながらも、次なる受験に向けて必死に勉強している。 そんな、ちょっとやばい連中のことです。

実はSFC入学を全く諦めていなかった僕は、大学に通いながらも1年後には再びSFCを受験して合格しようという全くもって都合の良い作戦を考えていたのです。

僕にとってはそれほどまでにSFCは魅力的でした。

 

とは言っても、やはり大学に入って僕の考えは少しずつ変わってしまいました。 周りにはなんだか面白いことを考えている人がいて、自由に使える時間があって、やりたいことはなんだって自由にできる。 それが大学というものです。

もちろん大学で勉強することは大事ですが、それ以上にいろんなことに挑戦してみることの方がはるかに重要です。

大学に通っていろんな人とか変わったりしているうちに、「今自分がいる環境に関係なく、僕はやりたいことができるはずだ」という考えが僕の中に生まれてきました。

どの大学に行こうと、どこに住もうと、自分の行動次第でなんだってできる。 当時はこの、ぼんやりとした感覚に近いような思いと、SFCに受かって「今いる環境を変えたい」という思いが拮抗していました。

そして、再びSFC受験の日。 2学部分の受験費用、2泊分のホテル代、交通費、合計10万円ほどだったでしょうか。 僕は仮面浪人については、すべて両親に黙っていたので、全額僕が頑張って貯めたバイト代から出しました。

出発する前日に、「実は明日、もう一度SFCを受けてくる」とだけ言って家を出て、受験に挑みました。

あ、もしかしたら当日幾らか親からお金をもらってたかも。 もしそうだったら、お母さん、ごめんなさい。

 

結果から言うと、再びの不合格。

頑張って知識を深めたり、受験教科の勉強をしていましたが、結局のところ僕は大学にきちんと通い大学を楽しんでいたので、受かるはずもありません。

大学生活と受験、両方とも中途半端な結果になってしまいました。

そして、明治大学残留が決定。 結果的には、頑張って貯めたお金を無駄になってしまいましたが、これは僕の実力を知るためのお金だったと、今では思っています。

 

大学2年生 ヤバイ人への階段を上る

さて、「自分は明治大学の学生だ」とはっきり自覚を持ったときにはすでに2年生になっていました。

ここからどうしたものか?

一人で勝手に受験に挑んで玉砕し、明治大学に囚われの身となった僕ですが、ここから大学からなるべく離れたいと思うようになります。

と言っても、授業自体はちゃんと出ていました。 おかしいのは、その「授業」。

僕は所属学部ではなく、文系の授業をとって違うキャンパスに通い始めたのです。 もちろん週3、4で所属学部の授業を受けていましたが、週1で御茶ノ水の文系キャンパスまで行って授業を受けました。

これがものすごく楽しくて、この頃には所属している農学部の授業にはほとんど興味がなくなっていました。

農学部では1年生の時に畑で大根を引っこ抜いたり、ジャガイモを植えたりしていたので何と無くそれだけで農学をやった感があり、その時点で満足していました。 ちなみに、引っこ抜いた野菜をビニール袋に入れて、そのまま電車に乗って家に帰る、あの時の不恰好な学生の姿には未だに涙を禁じ得ません。

 

さて、僕が受けていた文系の授業ですが、コワモテの教授がやっている授業で、毎回その教授の知り合いの中から専門家を招いて抗議してもらうというアラカルト形式の授業でした。

毎回違う分野の話が聞けるのですが、一貫してそれらは「環境問題」と「経済学」を結びつけた視点で語られていて、僕はそこからそれら2つの学問を組み合わせた「環境経済学」という学問があることを知りました。

なんとなくそれに興味を持って図書館で本を読んだり、本屋に寄って学問書を立ち読みしたりしていました。

そんな頃、所属学部である農学部では3年生からの研究室決めが始まっていました。 僕は全くもってどの研究室にも興味はなかったのですが、友達と見学に行った時に美味しいニンジンをご馳走してくれた研究室に興味が湧いてきました。

ビーカーでニンジンを茹でていたあのシュールな光景は、今だに僕の脳裏に焼き付いています。

でも、別に野菜を育てたいわけじゃないんだよなー。

そんな時、いつも仲良くしていた友達が耳寄りな情報を持ってきてくれました。 なんと、僕の所属学部は研究室への入室が必須ではなく(当時の話です、今はどうなんでしょう)単位さえ足りていれば卒業できるというのです。

これはなんという光明!

これを聞いた僕はヤバイ行動に出ます。

自分が受けていた文系の授業、そこで出てくる「環境経済学」を学ぶために、コワモテ教授を教室の出口で待ち伏せ、直訴しました。

ぜひ、あなたの研究室に入れてください、と。

文系では研究室ではなく、ゼミと呼ぶらしいですが、周りにいたそのゼミの方々の目が物語っていました。 「おい、こいつマジでヤベェぞ...」

目の前にとんでもない凶悪犯が現れたかのように、ビビっていました。 それもそのはず。 理系の生徒が文系のゼミに入ることは規則上できず、これまでにそんな変人誰一人いなかったからです。

ただ、その熱意が認められたのか、教授は僕を好意的に見てくれて、ゼミへの入室を認めてくれました。 今更ですが、たぶん正式に入室することはできないので、非正規メンバーみたいな扱いだったと思います。

この時点で2年の秋頃(たぶん)。 文系の生徒はここからゼミ面接などが始まります。

僕はこの前の段階でゼミメンバー扱いだったので、ゼミ面接に来ると、なんか先輩に混じって同い年の学生、しかも理系の奴がいる。

僕が文系の生徒側だったとしても、訳がわからないですね。

そんなこんなで、3年からゼミが始まります。

 

実はこの時、学外で「意識高い系学生団体」みたいなところに入っており、週に何回か表参道辺りに集まって、すごく意識が高い話をしていました。

この頃、ビジネスを自分でやってみたいという思いがあったのでこの団体に入ったのですが、次第にこの団体自体に疑問を感じてきます。

 

そういえばこの時期に「マグリット」という画家の展示会を京都でやるという情報を知り、京都のクソ安いホテルをとって、青春18きっぷを使ってその展示会を見に行きました。

京都まではものすごく安価で行くことができますが、片道10時間ほどかかりました。

 

大学3年生 研究に明け暮れた日々

さて、ゼミに非正規メンバーという形で入っていた僕ですが、研究自体は他のメンバーと同じように、いや、それ以上に熱心にやりました。

「あれだけ大口叩いて入ってきたんだから、しっかり研究するんだろう」という周りからの目線と、「理系から逃げるようにしてやって来たんだからしっかり研究しなきゃ」という僕自身の思いから、相当頑張りました。

そして、僕のゼミは結構有名ないわゆる「ガチゼミ」だったので、週に集まる頻度も出される課題も多く、相当多くの時間を研究に割くことになりました。

そんなガチゼミにわざわざ飛び込んで来た理系の僕についたあだ名は、

”ヤベェやつ”

うーん、シンプルにして的確!

ゼミのメンバーはみんな仲が良く、飲み会も多かったですね。 みんなで一緒に過ごすのは楽しかったですが、毎日のように研究のクオリティやスピードについてコワモテ教授に怒られっぱなしでした。

ゼミの活動では、図書室にこもって文献を漁ったり、メンバーとパソコンを持ち寄ってプレゼン資料を作成したり、企業にアポイントをとって取材に行ったり、 貴重な経験ができたと思います。

3年の冬に、東京ビックサイトで開かれた展示会で研究成果を発表し、その後論文を書き上げて共同研究は終わりになりました。 ゼミでは自分が本当に学びたいものを学ぶことができたので、すごく密度が濃い時間を過ごすことができました。

僕をゼミ入れてくれたコワモテ教授には本当に感謝していますし、結構ガバガバな融通のきく大学の制度にも感謝しています。

大学3年はゼミでの共同研究と所属学部での勉強、それからアルバイトにほとんどの時間を割いていました。 それと同時に、意識高い系団体での活動にも積極的に参加していたのですが、この団体の中で色々と疑問を感じる人が僕以外に2人ほど出てきます。

こういった団体ではよくあることですが、ビジネスの手法や資金繰りについての知識はなんとなーく得られるのですが、実際にメンバーが起業や事業の立ち上げに踏み切っているかと言えばそんなことはない。

その現状に疑問を感じた2人と共に団体を抜け、3人チームで新たに活動することにしました。 このチームでは、まあ、色々やりましたね。

今後、この活動によって、僕は多くの起業家と関わっていくことになります。

 

ちょうどこの時期に、自分が持っていたMacBook Airadobeのデザインソフトを入れて、色々遊んでいました。 次第にデザインにハマってきて、自分で勝手にロゴを作ったり、すでに存在している企業のロゴを自分なりにアレンジしたり、そんな風に遊んでいました。

色々できるようになってくると、どんどん興味が出てきて、デザインの参考書を買って読んだりしていました。 もっといろんなものを作りたいと思い、いろんなソフトを試したりWebのプログラミングを勉強してみたり。

研究の合間にデザインについて学んでいる感じでしたね。

もともと、僕はアートに興味があり、その影響かは分かりませんが、普段から良いデザインのプロダクトやパッケージ、ロゴを見るとそのデザインについて深く考えるクセがついていました。

それが僕がデザインを学び始めるきっかけになったのだと思います。

 

 

次回に続く。